mercy's blog

愛知県でリハビリテーションに従事する者として日々考えることをまとめています。

personal designを終えて

お久しぶりです!

最近業務量増加の関係もあって離れておりました。。申し訳ございません!!!

また書けるタイミングで書いていきたいと思います!

 

本日はですね、昨日開催しましたpersonal designの振り返りを行っていきたいと思います!今回は”当事者セラピストの立場から想うこと”をテーマに、山田隆司先生と森友美先生の当事者体験を通して、障害に関しての考え方を考える機会をいただきました。ありがとうございます!

今回鈴木さんは一身上の都合により講演が叶いませんでしたが、また機会があればお話聞いてみたいなーと思った次第です!はい!

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何にでも共通して言えることかと思いますが、新たに得た”情報”を自分の”知識”として落とし込み、組織化の果てに”知恵”としていくことが大切なのかなと思います。聞いただけで満足せず、自分の中に落とし込んで、応用していけるようにしたいですね!

自分が聴講していて、キーセンテンスだと感じたところに焦点を当てて振り返ってみたいと思います!

 

当事者セラピストの役割

”当事者セラピスト”とは、当事者としての主観性とセラピストとしての客観性を相互活用して社会に溢れる生活課題の解決に取り組んでいく医療福祉系専門職のことを指すそうです。今回初めて定義のようなものを知りました。これまで何となく耳馴染みのあった言葉でも、知ろうとしていないとやはり情報は得られないということを知った第一印象でした。

 

疾病・障害体験の中で得た当事者視点と専門職として持っている専門的知識・経験を掛け合わせて、社会の中に潜在する物理的バリアや社会的バリアにアプローチすることで共生社会の架け橋になる、というのが役割になるそうです。

正直聴講する前まで、こういった体験を話してくれている先生方とお話をした際には後遺障害というものを感じることがなかったので、凄く”強み”みたいな感じで捉えている方が多いのかなと思っていたのですが、今回聴講してそんな生優しいものじゃなかったなと、考えを改めました。当たり前なんですが、みんな障害を原因とする様々想いを抱えながら進んでいるんだなと思った次第です。

 

森友美先生による中途障害者の想い

”生活に戻って活動範囲が広がるほど、今までとの違いを感じ、障害を実感した”

ギランバレー当事者の森先生から出た一文になります。退院後半年〜1年くらいの間の時点で感じた想いだそうで、発症前の状況に戻って初めて気づく『発症前とのギャップ』これが障害なのだと思う、というような内容だったと思います。

私自身リハ病院で入院・外来・通所リハに従事させていただいているので、話を聞きながらそのような想いを口にされる患者さんがいることを思い出しながら話を聞いていました。退院に際して、生活に戻れたから良かった、仕事に戻れたから良かった、と病棟勤務の立場だと思ってしまいがちです。もちろん在宅復帰が病棟セラピストの第一目標というのは間違い無いですし、現実的な設定をしていくことが大切なのは変わらない事実なのですが、それが目標の最低ラインであるというのは忘れないようにしたいなと思いました。退院時点がセラピストのゴールになってはいけませんね。

機能障害からの完全な回復は疾患によっては難しいです。その人の人生にどう関わっていけるか、という視点でも専門性の高い知識・技術や共感力、幅広い選択肢の提案力の全てが大切です。

 

”障害受容をしたと勘違いした”

発症から3〜4年が経過し、前を向くことを意識して活動することで自分の価値を再発見していくことが出来たそうです。その結果、アイデンティティの再獲得ができ、障害受容が出来たと感じたそうですすが、それでもまたその後の数年を過ごすうちに、発症前の自分が恋しくなったりすることに気づいたそうです。発症前の自分を覚えているんだし、全く元通りになっているわけではないので、当然といえば当然と森先生自身おっしゃっていました。

以前身近な看護師さんと自分たちの子供の障害に関して話していた時に辿り着いた、”本当の意味での受容なんてのは一生できないんだよね”という結論を思い出しました。

完全な受容はあり得ないし、それを目指すと苦しくなる。受容出来てないから前に進めないという医療従事者側の意見に対するアンチテーゼだなと感じました。『受容できない』というネガティブな想いも、その人自身として受け入れて関わっていきたいと感じました。

 

”障害はその人自身がたどり着く問題であり、他者から促されるものではない”

森先生自身の障害の捉え方になりますが、障害はやはり困るものでもあるし、治したい気持ちもあるそうです。ただ、この障害があったことで得た縁もあり、ネガティブな面だけでなく、ポジティブな面もあると仰っていました。

この話を聞いた中で感じたこととしては、本当の意味での受容はないとしても、受容段階に基づく心理的な関わりを知識として意識はしつつ、患者さんと退院に向けたプロセスの歩幅を合わせていきたいということです。無理なポジティブの押し付けはいけませんが、患者さんの想いに思考を巡らせつつ、介入するべき手段の獲得など決定していければなと思います。

 

 

山田隆司先生による先天性障害者の想い

山田さんの病名はシャルコマリーテゥース病という進行性疾患ですが、幼少の頃の診断で”先天性”と名前のつく疾患名をつけられたことで、”先天性障害”という付き合い方をされてきたため、『先天性』と表現させていただいています。ご了承ください

”「障害を持たされている?」社会と障害と僕”

キッカケは、18歳の頃に自動二輪免許取得の希望を警察に伝えたことで身体障害者手帳の取得を促された、という経緯だったそうです。その流れで身体障害者手帳を取得する流れとなったそうですが、先天性障害者としては、生まれた時からその状態しか経験していないため、人と違うという想いはありつつも”障害者”という認識はなかったそうです。免許取得というイベントの中で、世間が自分を障害者だと言ってくる、と感じたと仰っていました。

障害は個人の中に内在しているものではなく、社会に存在するもので、障害者とは(社会参加に)さし”障”りや”害”を感じる”者”という意味だ、ということを教えていただき眼から鱗が落ちる想いでした。

”社会から取り残されてしまう ”

 急速な症状進行の中、身体状況の変化による社会的役割の喪失やアイデンティティーの喪失など自己肯定感の崩壊というセンテンスが印象に残っています。

進行性疾患ならではの感覚かと思います。繰り返される障害との再会によって、その度に付き合い方の見直しを余儀なくされるというのは、非常に精神的な体力を必要としますよね。その中で自分の強みや役割を活かしてのキャリアチェンジという思考に、山田先生の強さを感じました。

”『障害を克服する』ことは目標なのか?”

本人の中に帰属するという医療障害モデルと、社会との隔壁そのものを指すという社会障害モデルとで対比しながら、障害のありかによってアプローチが違ってくるということを分かりやすく伝えていただけたと思います。

医療的な意味合いでの障害は本人にとって解決すべき課題となりますが、社会的な意味合いでの障害は環境に対するアプローチで改善できることが多いというように感じます。多角的な視点を持って、”障害と上手に付き合うための支援”が生活期に関わるセラピストにとっては大切だなと思いました。障害云々ではなく、”その人”のためになることを考えていきたいですね。

 最後に

セミナーの終わりに際して山田さんから教えていただいた”患者バイアス”という言葉に関して、これまで考えたことがなかったものの、思い当たる節がありハッとさせられましたので紹介させて頂きます!

 

患者バイアス…患者役割

・良い患者でなくてはならない

・Thのリハビリに応えなくてはいけない

・家族や周囲の期待に応えなくてはならない

・病気を克服して障害と向き合わなくてはならない

 

患者さんは皆こういった”役割”としての想いを抱きつつリハビリをしているのかもしれません。その方の前向きな気持ちを尊重しつつ、こういったバイアスからくる発言なのかもしれないということを心の片隅にとどめながら支援をしていきたいと思いました!

今回のpersonal designはこれまでとは違った切り口で参加者の方々の見識を拡げるお手伝いが出来たと思っています!今後とも一人でも多くの方に我々運営が大切にしたいものをお伝えしていける機会を作っていきたいと思います!

 

ではまた!